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2012.03.11

一年

 本当はずっと、泣きたかった。

 実家は仙台にあるけれど、津波からは遠い場所で、受けた被害はライフラインの断絶くらい。父母ともまだまだ健康で元気。もともと母親は食料品を溜め込むたちで、父親はアウトドアな人間であり、非常時の対応は万全。たまたま仙台に来ていた親戚の女の子が一時身を寄せていたおかげで、若者が居るという心強さもあった。
 釜石の親戚は、一家揃って無事だった。非番だったが消防士ゆえに賭けつけようとして、波にお手玉された従兄弟も、海岸近くで働いており数日間連絡が取れなかったその息子も、奇跡的に全員が無事で、家も高台ゆえになんともなかった。
 大崎市に住む親戚も、ライフライン復旧に時間がかかり、その間近所の人と同居していたそうだけれど、どうということもなかった。
 私も中学までは大崎市に住んでいた。確認はしていないが、地元の同級生たちもおそらくほとんどが無事だろうと思う。

 私自身は、帰宅難民になりかけたけれど、地下鉄と私鉄の柔軟な対応で、日付がかわって少ししたくらいには部屋に辿り着くことが出来た。室内も積んでいたものが崩れて本が数冊駄目になったくらいで、被害はほぼ無し。
 その後の首都圏での混乱……日替わりで変更される公共交通機関の運行状況、計画停電の実施される・されないの綱引き、買い占め行動の発生、節電の夏。それらは、鷹揚な気分で受け入れることを自分に課して、いわゆる不謹慎だけれど、いっそ「楽しむ」ようにしてきた。

 けれど、時折目にする映像や情報で、のど元がつかえる瞬間は、幾度もあった。

 小学校の遠足で行った石巻の公園。そこから見下ろした景色。あの晴れた日、お弁当を広げた場所から見た風景が、波に洗われて灰色に染まっていた。
 市政モニターとして見学に行った下水道処理施設。美しく整然とした施設に、仙台市民として誇らしさを感じた場所が、津波に覆われ壊れていく様子。
 中学校の修学旅行で巡った福島の景勝地。どこも見応えがあり、楽しく、その後家族旅行でも何度も訪れた場所が、「フクシマ」というだけで差別されていく様。

 3月11日の夜。仙台での津波と火災のニュース映像を見て、地震直後に連絡は取れていたのに、その後回線パンクで連絡は取れなくなったけれど、全然安心できる状況だったはずなのに、「ああ、だめかもしれない」「もう会えないかもしれない」と思った。覚悟した。

 数日後、岩手県に長く住んでいた職場の人に
「いまは首都圏在住でも、故郷と呼べる場所が被害を受けたのは辛いよね」
 と言ったら
「そりゃそうですよ。当たり前ですよ」
 と、思った以上に強い口調で返された。

 泣きたかったけれど、泣くのはずうずうしいと思ってた。
 もっと辛い目に遭い、もっとたくさんのものを喪った人が、数え切れないくらい居る。
 その人らに比べて、私は単に、悲劇に浸りたいだけなんじゃないか、と。
 何でも「自分の物語」に取り込みたいだけなんじゃないか、と。

 でも。一年を経て、つらつらと考えてみる。
 そういう「ちいさな悲しみ」を受け止め、咀嚼し、昇華させるだけの強さは、私にはきっと無い。きっと、ただ呑み下して、心のどこかにつっかえを作ってしまう。

 だから、泣いてもいいんじゃないかな。
 ちいさな悲しみが降り積もっている人は、その重みに潰される前に、涙で溶かしてしまうことが必要なんじゃないかな。

 故郷が変わってしまって悲しかった。
 故郷が「被災地」と呼ばれるようになってしまって悲しかった。
 その「被災地」から距離を置いてしまっている自分がもどかしく悲しかった。

 悲しみに酔うことなく受け止めるのは、とてもとても難しいですが。
 一年後の今日くらいは、酔っても、いいか。

 そう思う、2012年の3月11日です。
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Posted by at 2012.03.11 20:01 | 編集
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